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FIATの話 その1〜トッポリーノ誕生まで

2020年06月14日

 

いつもジロン自動車のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

営業部の北川です。

 

先日FCA の新人研修がオンラインにて行われ、フィアット、アバルト車についての講義を受けました。

その内容がなかなかに興味深いものでしたので、皆さまに共有できればと思います!!

既にご存知の方も多いとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

 

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FIAT は、1899年ジョバンニ・アニエッリを含むイタリア北部の実業家9人によって設立されました。

 

FIATの名前は、

F   FABBRICA       製造工場

I   ITALIANA       イタリア

A   AUTOMOBILI  自動車

T   TORINO     トリノ

 

の頭文字をとったもので、日本語に訳しますと、

トリノのイタリア自動車製造工場

となります。

 

記念すべき FIAT 1号車 「3 2/1 HP」

 

 

その後1902年には先のジョバンニ・アニエッリが社長に就任しました。

ちなみにアニエッリ家は、現在のFIAT社の大株主でもあります。

 

 

偉大なるジョバンニ・アニエッリ

 

 

 

FIAT社は製品をアメリカ等へも輸出を開始

加えて、FIAT社のスローガンである「フィアット、陸に、海に、空に」の通り、

船舶や航空機用エンジンの生産も開始し、その地位を不動のものにしていきます。

 

 

 

FIAT社の初期エンブレム

 

 

 

1914年に第一次世界大戦が勃発し、軍需により莫大な利益を得たFIATは、

エンジンのみならず航空機の機体製造、製鉄業などにも進出し始めます。

 

そしてその資産を使い、1922年、有名なリンゴット工場が完成します。

その広さは15万3000? (東京ドーム3個分)、地上5階建て、

どでかい建屋の屋上にはなんとテストコースを完備、

オートメーション設備を完備した、当時では世界最先端の工場でした。

 

リンゴット工場

(現在ではショッピングモールを含む複合施設になっているようです。)

 

 

 

その後、1929年に発生した世界恐慌の影響で生産台数は半減しましたが、

1932年に発売した508/通称 BALILLA は、安価なモデルながらボディサイズ、シャシ構造が

上級モデルと同じということで顧客の心を掴み大ヒット、FIAT は経営を持ち直したのでした。

 

 

 

FIATを救った 508

初期生産モデルは最高速度85km/h、3速MTの4人乗りで、

約113,000台が生産されました。

 

 

508 BALILLA の成功を受け、1936年に 初代500・通称トッポリーノが開発されました。

このモデルは某歴史的有名女優が主演を務める、某映画にて使用され、大ヒットを収めたのでした。

トッポリーノはイタリア語で ハツカネズミの意で、顔がなんとなくネズミを連想させますね。

最高出力13馬力/最高速度は85km/hながら、燃費の面で従来の40%以上の改善がなされ、

成功の大きな要因となりました。

 

 

ローマの休日の1シーンとハツカネズミ

 

 

次回は第二次世界大戦を経て、2代目500・NUOVAの登場です!!

 

 

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