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ABARTH の話 その2 ~1979年10月23日

2020年07月07日

 

いつもジロン自動車のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今回も前回に引き続き、アバルトの話をさせて頂こうと思います!

 

前回の記事では、オーストリアで生まれたカール・アバルトが

1939年 第二次世界大戦の勃発を機にイタリアへ渡り、

名をイタリア語系のカルロ・アバルトへと変更したところまでお伝えいたしました。

 

 

 

 

既に有能なメカニックであり、最強のサイドカー・レーサーの称号を手にしていたカルロは、

戦前より親交のあったポルシェのエンジニア、ルドルフ・フルシュカに誘われ、

トリノに拠点を置く新興レーシングカー・スポーツカーメーカである、

チシタリア社にてその手腕を発揮しました。

 

勉強不足で画像のみです。。

 

 

のもつかの間、1948年に同社は倒産。

しかしチシタリアのドライバーとして活躍していたグイドとその父アルマンド・スカリアリーニ親子の援助で、

自らの名を冠した ABARTH&C.を設立。1949年4月、カルロが40歳のときのことでした。

 

 

 

ABARTH&C.社のエンブレムはカルロ自身の星座であるサソリがモチーフ。

小さい身体ながら大きな獲物を仕留める様は、アバルト車そのものでした。

 

 

 

1950年代よりチューニングパーツの生産に乗り出したのを皮切りに、

その後1970年代までのアバルトの伝説的な活躍は今でも語り継がれるほどです。

 

 

 

 

100以上の国際記録とレースにおいて7400以上の勝ち星を得、

アバルトは押しも押されぬメーカーとして、その地位を不動のものにしました。

 

 

 

 

 

美しいですね

 

 

1956年製作の 750GT 

FIAT 600をベースにした初の量産GTカーで、車両重量は535kg/750ccエンジン、

最高速度は160km/hと、走行性能の高さから世界中から注文が殺到しました。

 

同年に行われたミッレ・ミリアでは750cc部門でいきなりの2位

翌年には1位から12位までを750GTが独占するという事態を引き起こしました。

 

 

1971年、20年来関係を続けてきたフィアット社の一員となり、

その後はフィアット・モータースポーツ部門を受け持ち、ラリーやレースにて活躍を続けます。

FIAT ABARTH 124 が登場したのもこの頃です。

 

 

 

 

 

 

 

そして1979年10月23日、カルロ・アバルトは71歳でこの世を去ります。

 

 

 

 

彼の生涯は幕を閉じますが、アバルトの精神は現在でも生き続けています。

次回は。これ以降の話をさせて頂こうと思いますので、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

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